1月4日(土) ― 2025年01月04日 18:57
冬休みになったら、
子どもたちと一緒に遊ぼうと、
思っていた。
いざ、冬休みに入っても、
走り続ける日々は続き、
子どもたちと遊ぶ余裕なく、
寝る前に、ふらふらしながら、
絵本を読むことしか出来ない。
7歳の息子は、相変わらず、
自分で遊びを生み出し続け、
絵を描き、造形物をつくり、
4歳の娘も、それに倣う。
けんかもするが、一日中、二人で、
何やらたのしそうにしている。
創ったものは見せにくるし、
思いついたことは、どんどんと話してくる。
そのすべてに、全力で受け取る余裕がない。
子どもたちと、こんなにも密に関わることができるのは、
今だけ、この数年だけ、だと思う。
いずれ、息子と娘は、広く世界と関わり、
自分の足でしっかりと歩いていくであろう。
その土台となるこの時期に、
自分の出来ることは何かと、いつも考える。
子どもたちと関わることはたのしい。
けれども、暮しを立てていくための、
諸々の仕事を、うまくやりくりできずに、
子どもたちと関わる時間を、
つくりだすことが難しくなっている現状を、
息苦しく思うことがある。
息子と娘とわたしと、三人で眠る夜がある。
真ん中に自分がいて、
両側に息子と娘がいる。
二人と、からだのどこかが触れていて、
それで安心して、みんなで眠る。
ふあっとゆるんでくる。
子どもたちと一緒に遊ぼうと、
思っていた。
いざ、冬休みに入っても、
走り続ける日々は続き、
子どもたちと遊ぶ余裕なく、
寝る前に、ふらふらしながら、
絵本を読むことしか出来ない。
7歳の息子は、相変わらず、
自分で遊びを生み出し続け、
絵を描き、造形物をつくり、
4歳の娘も、それに倣う。
けんかもするが、一日中、二人で、
何やらたのしそうにしている。
創ったものは見せにくるし、
思いついたことは、どんどんと話してくる。
そのすべてに、全力で受け取る余裕がない。
子どもたちと、こんなにも密に関わることができるのは、
今だけ、この数年だけ、だと思う。
いずれ、息子と娘は、広く世界と関わり、
自分の足でしっかりと歩いていくであろう。
その土台となるこの時期に、
自分の出来ることは何かと、いつも考える。
子どもたちと関わることはたのしい。
けれども、暮しを立てていくための、
諸々の仕事を、うまくやりくりできずに、
子どもたちと関わる時間を、
つくりだすことが難しくなっている現状を、
息苦しく思うことがある。
息子と娘とわたしと、三人で眠る夜がある。
真ん中に自分がいて、
両側に息子と娘がいる。
二人と、からだのどこかが触れていて、
それで安心して、みんなで眠る。
ふあっとゆるんでくる。
1月1日(水) ― 2025年01月01日 19:39
元旦には、うちの裏にそびえ立つ霊山行者山に、
家族でのぼるのが、恒例の行事である。
去年は、夫が行者山に日頃からのぼっていたため、
登山道がはっきりとみえていたのが、
今年は、しばらく夫がのぼっておらず、
また、他にのぼる人もなかった様子で、
登山道が枯葉に覆いつくされ、
どこか道なのか、わかりにくくなっていた。
枯葉でつるつる滑りやすくなっている道を、
子どもたちもしっかりのぼっていった。
無事、山頂でご参拝して、
下山の際に、事件は起こった。
行きも帰りも、息子が先頭に立ち、
その息子の後ろに私が続き、
夫は娘をサポートしながら、後尾を守ってくれていた。
息子と私は、枯葉で道がみえなくなって、
途中で、道を間違ってしまい、
崖のところで動けなくなってしまったのだ。
息子は、自力で崖から這い上がって、
夫と合流して、本来の道に戻ることが出来たが、
わたしは崖から、自力でよじ登ることが出来ず、
落ちる危険性を感じて、動けなくなっていたところを、
夫に助けてもらったのであった。
新年早々、遭難した、のであった。
2025年の朝、音読道場のオンライン会読に参加し、
カタカムナ5首、6首、7首、8首を、
集っていた方とうたい詠みした。
素晴らしいはじまりの機会を頂いたなあと、
しみじみうれしくなったはじまりの日の朝であった。
家族でのぼるのが、恒例の行事である。
去年は、夫が行者山に日頃からのぼっていたため、
登山道がはっきりとみえていたのが、
今年は、しばらく夫がのぼっておらず、
また、他にのぼる人もなかった様子で、
登山道が枯葉に覆いつくされ、
どこか道なのか、わかりにくくなっていた。
枯葉でつるつる滑りやすくなっている道を、
子どもたちもしっかりのぼっていった。
無事、山頂でご参拝して、
下山の際に、事件は起こった。
行きも帰りも、息子が先頭に立ち、
その息子の後ろに私が続き、
夫は娘をサポートしながら、後尾を守ってくれていた。
息子と私は、枯葉で道がみえなくなって、
途中で、道を間違ってしまい、
崖のところで動けなくなってしまったのだ。
息子は、自力で崖から這い上がって、
夫と合流して、本来の道に戻ることが出来たが、
わたしは崖から、自力でよじ登ることが出来ず、
落ちる危険性を感じて、動けなくなっていたところを、
夫に助けてもらったのであった。
新年早々、遭難した、のであった。
2025年の朝、音読道場のオンライン会読に参加し、
カタカムナ5首、6首、7首、8首を、
集っていた方とうたい詠みした。
素晴らしいはじまりの機会を頂いたなあと、
しみじみうれしくなったはじまりの日の朝であった。
12月30日(月) ― 2024年12月30日 18:30
今年も餅つきをして、自分たちで鏡餅をこしらえることが出来た。
今年は、うちの陸稲のもち米で鏡餅をこしらえることが出来て、
夫は、感慨無量の様子であった。
大島にやってきて、数年は、夫と二人で、機械で餅つきをしていた。
ある年、機械が壊れた。
その時、すでに、もち米を浸水してあったので、
何とか餅つきをしたいということで、
急遽、蒸し器を準備してもち米を蒸して、
京都で近所の方に頂いていた箕臼を出して来て、
父の実家で眠っていた杵を探し出して、
その年、何とか、餅つきをすることが出来た。
わたしが子どもの時は、
父方の祖父母の家に親戚が集まって、
みんなで餅つきをしていた。
カマドに火をくべて蒸し器の番をするおじさんがいて、
石工だった祖父のつくった石臼で餅をつく父やおじさんがいた。
女のひとはみんな、次々につきあがる餅をせっせとまるめた。
餅つきは親戚総出の年末行事であった。
機械が壊れて、急遽、杵と臼で餅をついたその年は、
たまたま、両親と一緒につくことになり、
父も母も、以前のことを思い出して、
懐かしく、たのしく、思ったのか、
来年からも、杵と臼でつきたいなあと言った。
そして、何家族かの友人たちと、
両親と、共に、毎年、餅つきをするようになったのである。
出来るだけ、簡素に、小さく暮らしたい性分なのだけど、
餅つきは、お役かなと思って、その場をつくることをさせてもらっている。
臼を頂き、大きな蒸し器も頂き、父の実家には立派な杵もあり、
この状況を鑑みるに、自分たちが餅つきの場をつくるのは、
頂いたお役だと覚悟して、出来る限りは続けていこう。
今年は、うちの陸稲のもち米で鏡餅をこしらえることが出来て、
夫は、感慨無量の様子であった。
大島にやってきて、数年は、夫と二人で、機械で餅つきをしていた。
ある年、機械が壊れた。
その時、すでに、もち米を浸水してあったので、
何とか餅つきをしたいということで、
急遽、蒸し器を準備してもち米を蒸して、
京都で近所の方に頂いていた箕臼を出して来て、
父の実家で眠っていた杵を探し出して、
その年、何とか、餅つきをすることが出来た。
わたしが子どもの時は、
父方の祖父母の家に親戚が集まって、
みんなで餅つきをしていた。
カマドに火をくべて蒸し器の番をするおじさんがいて、
石工だった祖父のつくった石臼で餅をつく父やおじさんがいた。
女のひとはみんな、次々につきあがる餅をせっせとまるめた。
餅つきは親戚総出の年末行事であった。
機械が壊れて、急遽、杵と臼で餅をついたその年は、
たまたま、両親と一緒につくことになり、
父も母も、以前のことを思い出して、
懐かしく、たのしく、思ったのか、
来年からも、杵と臼でつきたいなあと言った。
そして、何家族かの友人たちと、
両親と、共に、毎年、餅つきをするようになったのである。
出来るだけ、簡素に、小さく暮らしたい性分なのだけど、
餅つきは、お役かなと思って、その場をつくることをさせてもらっている。
臼を頂き、大きな蒸し器も頂き、父の実家には立派な杵もあり、
この状況を鑑みるに、自分たちが餅つきの場をつくるのは、
頂いたお役だと覚悟して、出来る限りは続けていこう。
12月27日(金) ― 2024年12月27日 10:24
小学校の冬休みがはじまった。
息子は、次から次へと遊びをうみだす。
あるものをつかっての、創作活動が止まらない。
砂浜に行けば、砂浜をキャンバスに、描いたり、創ったり、
冷たい風が吹いても、平気で遊んでいる。
遊びの句読点で、「なんかたのしかった」とつぶやく。
遊びのアイディアは尽きることがないようだ。
時折、妹とけんかして、
感情があふれてくると、
「走ってくる」と言って、外へ行ってしまう。
しばらくして帰ってきて、
また遊びだす。
わたしも、様々な家事、仕事があるから、
息子の遊びに入っていく余裕もなく、
息子がみてほしい時に、声をかけてくれて、
それに応じるので精いっぱいである。
多分、これでいいのだ、というか、
今はこれしかできないから、
せめて、息子と娘の流れをとめないように。
三人で、みっちりと、過ごす日々は続く。
息子は、次から次へと遊びをうみだす。
あるものをつかっての、創作活動が止まらない。
砂浜に行けば、砂浜をキャンバスに、描いたり、創ったり、
冷たい風が吹いても、平気で遊んでいる。
遊びの句読点で、「なんかたのしかった」とつぶやく。
遊びのアイディアは尽きることがないようだ。
時折、妹とけんかして、
感情があふれてくると、
「走ってくる」と言って、外へ行ってしまう。
しばらくして帰ってきて、
また遊びだす。
わたしも、様々な家事、仕事があるから、
息子の遊びに入っていく余裕もなく、
息子がみてほしい時に、声をかけてくれて、
それに応じるので精いっぱいである。
多分、これでいいのだ、というか、
今はこれしかできないから、
せめて、息子と娘の流れをとめないように。
三人で、みっちりと、過ごす日々は続く。
12月26日(木) ― 2024年12月26日 10:18
昨晩、富山で帽子をつくっている友人と電話で話す。
毎年、うちで、帽子の展示会を開催し、
その時には、家族で一泊していってくれる。
その、ともに過ごすひとときに、わたしは、その家族から、
いつも素晴らしいものを、受け取っている。
暮していく中で、自分たちにとって何が大事なのか、
谷さん家族は、それがすっと立っている印象がある。
大事なものをいつも真ん中に立てているから、
状況に合わせて自由に動いていけるし、
何より、心持ちがとっても自由なのだ。
昨日、谷さんの奥さんと電話で話していたら、
どこかに勤めて一定の収入があるわけでなく、
ただただ、自由なのだ、というようなことを言われていた。
うちも似たような状況だけれど、
自由である自分と、
収入の不安定さに不安になる自分と、
その立ち位置に、まだまだ揺れ動いているところがあるから、
谷さんの奥さんの、清々しいことばに、
また、心打たれる。
「また」というのは、谷さんの奥さんが放つことばはいつも、
心打たれるものがあり、何か軽くなるのを感じるのである。
『めがね』という映画のコピーに、
「なにが自由か知っている」
ということばがあったが、
谷さん家族は、そのことばを生きているなあと思う。
そして、自分も、少しずつ、
そのことばに近づいていきたい。
毎年、うちで、帽子の展示会を開催し、
その時には、家族で一泊していってくれる。
その、ともに過ごすひとときに、わたしは、その家族から、
いつも素晴らしいものを、受け取っている。
暮していく中で、自分たちにとって何が大事なのか、
谷さん家族は、それがすっと立っている印象がある。
大事なものをいつも真ん中に立てているから、
状況に合わせて自由に動いていけるし、
何より、心持ちがとっても自由なのだ。
昨日、谷さんの奥さんと電話で話していたら、
どこかに勤めて一定の収入があるわけでなく、
ただただ、自由なのだ、というようなことを言われていた。
うちも似たような状況だけれど、
自由である自分と、
収入の不安定さに不安になる自分と、
その立ち位置に、まだまだ揺れ動いているところがあるから、
谷さんの奥さんの、清々しいことばに、
また、心打たれる。
「また」というのは、谷さんの奥さんが放つことばはいつも、
心打たれるものがあり、何か軽くなるのを感じるのである。
『めがね』という映画のコピーに、
「なにが自由か知っている」
ということばがあったが、
谷さん家族は、そのことばを生きているなあと思う。
そして、自分も、少しずつ、
そのことばに近づいていきたい。
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