12月30日(月)2024年12月30日 18:30

今年も餅つきをして、自分たちで鏡餅をこしらえることが出来た。
今年は、うちの陸稲のもち米で鏡餅をこしらえることが出来て、
夫は、感慨無量の様子であった。

大島にやってきて、数年は、夫と二人で、機械で餅つきをしていた。
ある年、機械が壊れた。
その時、すでに、もち米を浸水してあったので、
何とか餅つきをしたいということで、
急遽、蒸し器を準備してもち米を蒸して、
京都で近所の方に頂いていた箕臼を出して来て、
父の実家で眠っていた杵を探し出して、
その年、何とか、餅つきをすることが出来た。

わたしが子どもの時は、
父方の祖父母の家に親戚が集まって、
みんなで餅つきをしていた。
カマドに火をくべて蒸し器の番をするおじさんがいて、
石工だった祖父のつくった石臼で餅をつく父やおじさんがいた。
女のひとはみんな、次々につきあがる餅をせっせとまるめた。
餅つきは親戚総出の年末行事であった。

機械が壊れて、急遽、杵と臼で餅をついたその年は、
たまたま、両親と一緒につくことになり、
父も母も、以前のことを思い出して、
懐かしく、たのしく、思ったのか、
来年からも、杵と臼でつきたいなあと言った。
そして、何家族かの友人たちと、
両親と、共に、毎年、餅つきをするようになったのである。

出来るだけ、簡素に、小さく暮らしたい性分なのだけど、
餅つきは、お役かなと思って、その場をつくることをさせてもらっている。
臼を頂き、大きな蒸し器も頂き、父の実家には立派な杵もあり、
この状況を鑑みるに、自分たちが餅つきの場をつくるのは、
頂いたお役だと覚悟して、出来る限りは続けていこう。

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