1月1日(水) ― 2025年01月01日 19:39
元旦には、うちの裏にそびえ立つ霊山行者山に、
家族でのぼるのが、恒例の行事である。
去年は、夫が行者山に日頃からのぼっていたため、
登山道がはっきりとみえていたのが、
今年は、しばらく夫がのぼっておらず、
また、他にのぼる人もなかった様子で、
登山道が枯葉に覆いつくされ、
どこか道なのか、わかりにくくなっていた。
枯葉でつるつる滑りやすくなっている道を、
子どもたちもしっかりのぼっていった。
無事、山頂でご参拝して、
下山の際に、事件は起こった。
行きも帰りも、息子が先頭に立ち、
その息子の後ろに私が続き、
夫は娘をサポートしながら、後尾を守ってくれていた。
息子と私は、枯葉で道がみえなくなって、
途中で、道を間違ってしまい、
崖のところで動けなくなってしまったのだ。
息子は、自力で崖から這い上がって、
夫と合流して、本来の道に戻ることが出来たが、
わたしは崖から、自力でよじ登ることが出来ず、
落ちる危険性を感じて、動けなくなっていたところを、
夫に助けてもらったのであった。
新年早々、遭難した、のであった。
2025年の朝、音読道場のオンライン会読に参加し、
カタカムナ5首、6首、7首、8首を、
集っていた方とうたい詠みした。
素晴らしいはじまりの機会を頂いたなあと、
しみじみうれしくなったはじまりの日の朝であった。
家族でのぼるのが、恒例の行事である。
去年は、夫が行者山に日頃からのぼっていたため、
登山道がはっきりとみえていたのが、
今年は、しばらく夫がのぼっておらず、
また、他にのぼる人もなかった様子で、
登山道が枯葉に覆いつくされ、
どこか道なのか、わかりにくくなっていた。
枯葉でつるつる滑りやすくなっている道を、
子どもたちもしっかりのぼっていった。
無事、山頂でご参拝して、
下山の際に、事件は起こった。
行きも帰りも、息子が先頭に立ち、
その息子の後ろに私が続き、
夫は娘をサポートしながら、後尾を守ってくれていた。
息子と私は、枯葉で道がみえなくなって、
途中で、道を間違ってしまい、
崖のところで動けなくなってしまったのだ。
息子は、自力で崖から這い上がって、
夫と合流して、本来の道に戻ることが出来たが、
わたしは崖から、自力でよじ登ることが出来ず、
落ちる危険性を感じて、動けなくなっていたところを、
夫に助けてもらったのであった。
新年早々、遭難した、のであった。
2025年の朝、音読道場のオンライン会読に参加し、
カタカムナ5首、6首、7首、8首を、
集っていた方とうたい詠みした。
素晴らしいはじまりの機会を頂いたなあと、
しみじみうれしくなったはじまりの日の朝であった。
1月4日(土) ― 2025年01月04日 18:57
冬休みになったら、
子どもたちと一緒に遊ぼうと、
思っていた。
いざ、冬休みに入っても、
走り続ける日々は続き、
子どもたちと遊ぶ余裕なく、
寝る前に、ふらふらしながら、
絵本を読むことしか出来ない。
7歳の息子は、相変わらず、
自分で遊びを生み出し続け、
絵を描き、造形物をつくり、
4歳の娘も、それに倣う。
けんかもするが、一日中、二人で、
何やらたのしそうにしている。
創ったものは見せにくるし、
思いついたことは、どんどんと話してくる。
そのすべてに、全力で受け取る余裕がない。
子どもたちと、こんなにも密に関わることができるのは、
今だけ、この数年だけ、だと思う。
いずれ、息子と娘は、広く世界と関わり、
自分の足でしっかりと歩いていくであろう。
その土台となるこの時期に、
自分の出来ることは何かと、いつも考える。
子どもたちと関わることはたのしい。
けれども、暮しを立てていくための、
諸々の仕事を、うまくやりくりできずに、
子どもたちと関わる時間を、
つくりだすことが難しくなっている現状を、
息苦しく思うことがある。
息子と娘とわたしと、三人で眠る夜がある。
真ん中に自分がいて、
両側に息子と娘がいる。
二人と、からだのどこかが触れていて、
それで安心して、みんなで眠る。
ふあっとゆるんでくる。
子どもたちと一緒に遊ぼうと、
思っていた。
いざ、冬休みに入っても、
走り続ける日々は続き、
子どもたちと遊ぶ余裕なく、
寝る前に、ふらふらしながら、
絵本を読むことしか出来ない。
7歳の息子は、相変わらず、
自分で遊びを生み出し続け、
絵を描き、造形物をつくり、
4歳の娘も、それに倣う。
けんかもするが、一日中、二人で、
何やらたのしそうにしている。
創ったものは見せにくるし、
思いついたことは、どんどんと話してくる。
そのすべてに、全力で受け取る余裕がない。
子どもたちと、こんなにも密に関わることができるのは、
今だけ、この数年だけ、だと思う。
いずれ、息子と娘は、広く世界と関わり、
自分の足でしっかりと歩いていくであろう。
その土台となるこの時期に、
自分の出来ることは何かと、いつも考える。
子どもたちと関わることはたのしい。
けれども、暮しを立てていくための、
諸々の仕事を、うまくやりくりできずに、
子どもたちと関わる時間を、
つくりだすことが難しくなっている現状を、
息苦しく思うことがある。
息子と娘とわたしと、三人で眠る夜がある。
真ん中に自分がいて、
両側に息子と娘がいる。
二人と、からだのどこかが触れていて、
それで安心して、みんなで眠る。
ふあっとゆるんでくる。
1月6日(月) ― 2025年01月06日 13:57
いよいよ、寒くなってきた。
この時期によくこしらえる献立。
菊芋とリンゴのポタージュ スパイス風味。
人参葉とレーズンの混ぜごはん。
大根葉、ラッデッシュの葉っぱの混ぜごはん。
紫芋ごはん。
菜っ葉の炒めゆであげ。
ネギの味噌汁。
菊芋炒め
同じ料理でも、
その時々によって、変わってしまう。
菊芋とりんごのポタージュは、
ココナッツミルク仕立てにしたり、
ミルク仕立てにしたり、
豆乳仕立てにしたり、
味噌仕立てにしたり。
スパイスも、カレー風味だったり、ショウガ風味だったり、
和風だったり、黒コショウ風味だったり。
あるものでこしらえるから、
ある一定の時期は同じ素材と関わり続ける。
今年もこの野菜が来たねという感じ。
そして、自分が変わっていっているせいなのか、
毎年、モデルチェンジしているのが面白い。
この時期によくこしらえる献立。
菊芋とリンゴのポタージュ スパイス風味。
人参葉とレーズンの混ぜごはん。
大根葉、ラッデッシュの葉っぱの混ぜごはん。
紫芋ごはん。
菜っ葉の炒めゆであげ。
ネギの味噌汁。
菊芋炒め
同じ料理でも、
その時々によって、変わってしまう。
菊芋とりんごのポタージュは、
ココナッツミルク仕立てにしたり、
ミルク仕立てにしたり、
豆乳仕立てにしたり、
味噌仕立てにしたり。
スパイスも、カレー風味だったり、ショウガ風味だったり、
和風だったり、黒コショウ風味だったり。
あるものでこしらえるから、
ある一定の時期は同じ素材と関わり続ける。
今年もこの野菜が来たねという感じ。
そして、自分が変わっていっているせいなのか、
毎年、モデルチェンジしているのが面白い。
1月8日(水) ― 2025年01月08日 10:29
昨日は、夫の行っている施術、多次元操体を受けられるお客様があり、
私は、そのお客様のためのお昼ごはんをこしらえる。
赤もちとうもろこしのごはん
菊芋とりんごの麦味噌仕立てのポタージュ 青のりの香り
黒ゴマ豆腐 天日塩を散らして
ルッコラとレーズンの白和え レモンの香り
菊芋と海苔のナムル風
ココナッツの花の蜜で似たあんこのおはぎ
自家製まこも茶
何度もお越しいただいているお客様で、
子どもたちも、その方が来るのをたのしみにしている。
セッションのお客様がある時は、
子どもたちは連れ出しているのだが、
この方は、子どもたちと会うのをたのしみにされていて、
お昼ごはんも、一緒に頂く。
お客様のお料理をこしらえていると、
背筋がピンとしてくる。
しかるべき順番で、次々と手を動かしていくのは、
やはり気持ちのいいことである。
私は、そのお客様のためのお昼ごはんをこしらえる。
赤もちとうもろこしのごはん
菊芋とりんごの麦味噌仕立てのポタージュ 青のりの香り
黒ゴマ豆腐 天日塩を散らして
ルッコラとレーズンの白和え レモンの香り
菊芋と海苔のナムル風
ココナッツの花の蜜で似たあんこのおはぎ
自家製まこも茶
何度もお越しいただいているお客様で、
子どもたちも、その方が来るのをたのしみにしている。
セッションのお客様がある時は、
子どもたちは連れ出しているのだが、
この方は、子どもたちと会うのをたのしみにされていて、
お昼ごはんも、一緒に頂く。
お客様のお料理をこしらえていると、
背筋がピンとしてくる。
しかるべき順番で、次々と手を動かしていくのは、
やはり気持ちのいいことである。
1月14日(火) ― 2025年01月14日 11:24
4歳の娘が言った。
「かあちゃん、大事なことだからね。
龍とドラゴンはやさしい。」
前日は、夜に地震があった。夕方、キーンという耳鳴りがしていた。
自分の体調のせいなのかな、と思ったが、
そんな感じではないなと、思ったまま、であった。
年が明けて数日したある日の夢で、
1月9日に地震がある、ときこえた。
はっきりと日付を言ってきたから、
多分、この日は地震は起こらないなとは、思った。
娘が、どうして、龍とドラゴンのことを、
今日という日に伝えてきたのか、わからない。
娘はまた、お正月に、ある方から頂いた、
龍の絵の描かれたお皿を、
座敷の床の間に飾るようにと、
娘は言うので、そのようにした。
「かあちゃん、大事なことだからね。
龍とドラゴンはやさしい。」
前日は、夜に地震があった。夕方、キーンという耳鳴りがしていた。
自分の体調のせいなのかな、と思ったが、
そんな感じではないなと、思ったまま、であった。
年が明けて数日したある日の夢で、
1月9日に地震がある、ときこえた。
はっきりと日付を言ってきたから、
多分、この日は地震は起こらないなとは、思った。
娘が、どうして、龍とドラゴンのことを、
今日という日に伝えてきたのか、わからない。
娘はまた、お正月に、ある方から頂いた、
龍の絵の描かれたお皿を、
座敷の床の間に飾るようにと、
娘は言うので、そのようにした。
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