12月16日(月) ― 2024年12月16日 11:59
荒井良治さんの絵本
『ゆきのげきじょう』を読むと、
自分の内側がうずいて、胸いっぱいになる。
はじめのうち、子どもたちに読み聞かせしていたら、
涙がぽろぽろあふれてきた。
静けさに満ちたこのお話の、
何に自分は心動かされているのか、
よくわからない。
でも、この物語を読むと、
いつも、胸がいっぱいになる。
この冬もまた、この物語をたくさん読んで、
この物語に流れている何かを、
感じていこう。
『ゆきのげきじょう』を読むと、
自分の内側がうずいて、胸いっぱいになる。
はじめのうち、子どもたちに読み聞かせしていたら、
涙がぽろぽろあふれてきた。
静けさに満ちたこのお話の、
何に自分は心動かされているのか、
よくわからない。
でも、この物語を読むと、
いつも、胸がいっぱいになる。
この冬もまた、この物語をたくさん読んで、
この物語に流れている何かを、
感じていこう。
12月18日(水) ― 2024年12月18日 13:53
包丁を研ぐ。
このところ、包丁を研ぐことが出来ず、
使うたびに、研がれていないことが、
小さくひっかかりとなっていたから、
すっとした。
包丁は少々研がれていなくても、
切ることに、それほど困ることはないようだけれど、
研がれている包丁の、
食材へのやさしさを知っているから、
研がれていないことは、ひっかかりとなる。
日常の小さなひっかかりを、
大きくなる前に、なめらかにしておく。
流れを受け取ることの出来る器を、
準備しておくことしか出来ないし、
その準備こそが、面白いとおもう。
このところ、包丁を研ぐことが出来ず、
使うたびに、研がれていないことが、
小さくひっかかりとなっていたから、
すっとした。
包丁は少々研がれていなくても、
切ることに、それほど困ることはないようだけれど、
研がれている包丁の、
食材へのやさしさを知っているから、
研がれていないことは、ひっかかりとなる。
日常の小さなひっかかりを、
大きくなる前に、なめらかにしておく。
流れを受け取ることの出来る器を、
準備しておくことしか出来ないし、
その準備こそが、面白いとおもう。
12月20日(金) ― 2024年12月20日 16:53
鵜島の家へ行く。
鵜島と、ご縁があるのだろうか。
鵜島に別荘を持っておられる方との出合いがあり、
その後、オーナー不在時の、別荘管理の仕事を頂く。
子どもを連れて出来る仕事だったから、
とても有難く、奇跡のようなことだと思った。
それから、奇跡のようなことは続く。
別荘を一棟貸しのゲストハウスとして、
うちが経営していくというお話を頂く。
気が付けば、わたしたちは、
鵜島の家の、守りひと、というお役を頂いていた。
一か月ほど前のこと、
鵜島の家に行った時に、
地元の方に声をかけられた。
わたしの祖父の教え子だというそのひとは、
祖父のことをこう言った。
「先生はすごい人気があったんよ。
あんな先生は、もう出てこんわい。
鵜島でキャンプしたのは、先生がはじめてやった。」
母方の祖父は教師であった。
わたしにとっては、陽気でやさしいおじいちゃんで、
祖父が教師として、どんなふうであったのかは、
よく知らない。
鵜島で、祖父の昔のことをきいたその日、
何とも言えないきもちになった。
自分に続いているいのち。
自分の血に流れているおもい。
そういうものを、すごく感じて、
鵜島の家を守ることになったのも、
大島で、子どもたちのために何かをしたいと思うようになったのも、
血に導かれているようなきもちになった。
わたしのいのちは、わたしひとりでない。
脈々とつながれてきたそのおもいが、
細胞に刻まれている。
先祖にたすけられながら、いきている。
もちろん、先祖のかなしみや苦しみも抱き、
それらを自らと融合させて、何らかのかたちで浄化しながら、
今を走っているのだと思う。
土地とのご縁は、強力だと思う。
自分で選んでいるようで、
土地の許可がなければ、来ることは出来ないのだと思う。
土地の意図の通りに、
自分の仕事をしていく。
意図はみえないけれど、
おまかせと、情熱の間に、
ふわっと浮き上がってくるはずである。
鵜島と、ご縁があるのだろうか。
鵜島に別荘を持っておられる方との出合いがあり、
その後、オーナー不在時の、別荘管理の仕事を頂く。
子どもを連れて出来る仕事だったから、
とても有難く、奇跡のようなことだと思った。
それから、奇跡のようなことは続く。
別荘を一棟貸しのゲストハウスとして、
うちが経営していくというお話を頂く。
気が付けば、わたしたちは、
鵜島の家の、守りひと、というお役を頂いていた。
一か月ほど前のこと、
鵜島の家に行った時に、
地元の方に声をかけられた。
わたしの祖父の教え子だというそのひとは、
祖父のことをこう言った。
「先生はすごい人気があったんよ。
あんな先生は、もう出てこんわい。
鵜島でキャンプしたのは、先生がはじめてやった。」
母方の祖父は教師であった。
わたしにとっては、陽気でやさしいおじいちゃんで、
祖父が教師として、どんなふうであったのかは、
よく知らない。
鵜島で、祖父の昔のことをきいたその日、
何とも言えないきもちになった。
自分に続いているいのち。
自分の血に流れているおもい。
そういうものを、すごく感じて、
鵜島の家を守ることになったのも、
大島で、子どもたちのために何かをしたいと思うようになったのも、
血に導かれているようなきもちになった。
わたしのいのちは、わたしひとりでない。
脈々とつながれてきたそのおもいが、
細胞に刻まれている。
先祖にたすけられながら、いきている。
もちろん、先祖のかなしみや苦しみも抱き、
それらを自らと融合させて、何らかのかたちで浄化しながら、
今を走っているのだと思う。
土地とのご縁は、強力だと思う。
自分で選んでいるようで、
土地の許可がなければ、来ることは出来ないのだと思う。
土地の意図の通りに、
自分の仕事をしていく。
意図はみえないけれど、
おまかせと、情熱の間に、
ふわっと浮き上がってくるはずである。
12月22日(日) ― 2024年12月22日 17:46
無事に冬至を越して、極まった陰より陽に転じたはじまりの日。
冬至の昨日は、午前中はホクレア号のクルーである、
内野加奈子さんの、オンラインお話会に参加し、
午後は、パントマイムやジャグリングのショーを観に行く。
妹からもらったカボチャでスープをつくり、
友人からもらった柚子をお風呂に入れて、
冬至の行事らしきことをしてみる。
夕方、ブログを書こうと思ったら、
ちょっとした事件が起こって、その処理に追われる。
感情が揺れ動く、どきっとした事件だったけれど、
大ごとになる前に、処理することが出来てよかった。
冬至の日に陰なるものを、受け止める経験をしたのも、
流れであったのと思って、気を静める。
昨日、ヤマトさんが荷物を届けてくれたのであるが、
年末の繁忙期とのことで、
数年前まで、このあたりを担当して、退職した方が、
届けてくれて、なつかしいきもちになった。
玄関を開けて、うちの中に入りすでに荷物を置いて待っていて、
以前とかわらないその姿があった。
その方は、まだ小さかった息子が、
受領印を押すのを、いつも、うれしそうに対応してくださった。
アトピーで真っ赤で傷だらけの顔の息子を、
びっくりする様子もなく、
そのまんまでみていてくれていたので、
その方のそのありように、当時のわたしは、
たすけられているようなおもいがした。
あの頃、おぼつかない日々を過ごしていた。
息子がどうなっていくのか、
自分たちの暮らしはどうなっていくのか、
ちいさな不安を抱えながら、
それでも、暮していかねばならなかった。
何とか、生き延びてきたではないかと、
今の自分たちをみておもう。
今だって、一寸先はわからない。
だけど、この数年、歯を食いしばって、
感情をぐらぐらさせながらも、
今をみて、前をみて、やってきた。
たくさんの人たちが、天使のように、
そっと、わたしたちの日常を支えてくれている。
笠地蔵の世界を忘れないでいよう。
冬至の昨日は、午前中はホクレア号のクルーである、
内野加奈子さんの、オンラインお話会に参加し、
午後は、パントマイムやジャグリングのショーを観に行く。
妹からもらったカボチャでスープをつくり、
友人からもらった柚子をお風呂に入れて、
冬至の行事らしきことをしてみる。
夕方、ブログを書こうと思ったら、
ちょっとした事件が起こって、その処理に追われる。
感情が揺れ動く、どきっとした事件だったけれど、
大ごとになる前に、処理することが出来てよかった。
冬至の日に陰なるものを、受け止める経験をしたのも、
流れであったのと思って、気を静める。
昨日、ヤマトさんが荷物を届けてくれたのであるが、
年末の繁忙期とのことで、
数年前まで、このあたりを担当して、退職した方が、
届けてくれて、なつかしいきもちになった。
玄関を開けて、うちの中に入りすでに荷物を置いて待っていて、
以前とかわらないその姿があった。
その方は、まだ小さかった息子が、
受領印を押すのを、いつも、うれしそうに対応してくださった。
アトピーで真っ赤で傷だらけの顔の息子を、
びっくりする様子もなく、
そのまんまでみていてくれていたので、
その方のそのありように、当時のわたしは、
たすけられているようなおもいがした。
あの頃、おぼつかない日々を過ごしていた。
息子がどうなっていくのか、
自分たちの暮らしはどうなっていくのか、
ちいさな不安を抱えながら、
それでも、暮していかねばならなかった。
何とか、生き延びてきたではないかと、
今の自分たちをみておもう。
今だって、一寸先はわからない。
だけど、この数年、歯を食いしばって、
感情をぐらぐらさせながらも、
今をみて、前をみて、やってきた。
たくさんの人たちが、天使のように、
そっと、わたしたちの日常を支えてくれている。
笠地蔵の世界を忘れないでいよう。
12月24日(火) ― 2024年12月24日 16:23
4歳の娘と二人で散歩をする。
同じ集落に住まう方にお届けものがあり、
それを届ける、という目的のある散歩。
娘と手をつないで、自分たちの身近な場所を、
歩いていると、甘やかな心地になってくる。
娘の小さな手は、いずれ大きくなる。
自分たちの暮すこの土地に抱かれて、
4歳の娘のおしゃべりを、
全身で受け止めることの出来るこの瞬間、
二度とは来ないこの時が、愛おしい。
30分ほどして、目的地に到着。
そのお家の方とおしゃべりをして、
また、家に帰る。
帰り道、娘は言った。
かみさまは、ひとり、ひとりにいるんだよ、と。
同じ集落に住まう方にお届けものがあり、
それを届ける、という目的のある散歩。
娘と手をつないで、自分たちの身近な場所を、
歩いていると、甘やかな心地になってくる。
娘の小さな手は、いずれ大きくなる。
自分たちの暮すこの土地に抱かれて、
4歳の娘のおしゃべりを、
全身で受け止めることの出来るこの瞬間、
二度とは来ないこの時が、愛おしい。
30分ほどして、目的地に到着。
そのお家の方とおしゃべりをして、
また、家に帰る。
帰り道、娘は言った。
かみさまは、ひとり、ひとりにいるんだよ、と。
最近のコメント