小さな境界線を超えていく。 ― 2024年12月09日 10:33
日本語音読の指導者になるための講座を受けている。
今、論語を読んでいる。
受講生が集まって、論語を音読し、
音読した箇所について、
感じたことを自由に話す場がある。
はじめ、この会読という場に入って、
自分の中に、混乱が起こった。
受講生が交代でファシリテーターになり、
会読を進めていくのであるが、
この、ファシリテートをどうしていいのか、
よくわからない。
皆さんのされていることを観察しながら、
まずは真似をしてみる。
実際に、音読の先生をされている方もおられるし、
音読の学ばれている方たちだから、
音も明瞭だし、話すことばも、すっきりしている。
初回の会読が終わった後、
モヤモヤするものが自分の中に広がっていった。
その後、仕事や帰省で、日常が手一杯となり、
論語を読むことも、会読に参加することも、
出来なくなっていた。
いや、モヤモヤが真ん中にあったことが、
その場に向かうことの出来なかった理由だろう。
この自分の状況を変えていきたくて、
まずはブログをはじめた。
娘が少々、ぐずろうとも、無理やり書きはじめた。
今は、何とかかんとかのタイミング、というところがあるけれど、
きっと、よきタイミングで、さっとと書くことができるようになる。
はじめなくては、はじまらない。
そして、朝6時からの自主会読にも、えいや、と参加してみた。
やってみなくては、続けてみなくては、
何もわからないままだ、と、自分を鼓舞してみた。
会読の場は、あたたかく、面白い場だった。
相変わらず、ファシリテートは難しいけれど、
みなさんが、そっとたすけて下さる。
頭で考えて、いっぱいいっぱいになっていた自分がいた。
小さな境界線を超えていく。
そこには、ささやかで静かなよろこびがある。
今、論語を読んでいる。
受講生が集まって、論語を音読し、
音読した箇所について、
感じたことを自由に話す場がある。
はじめ、この会読という場に入って、
自分の中に、混乱が起こった。
受講生が交代でファシリテーターになり、
会読を進めていくのであるが、
この、ファシリテートをどうしていいのか、
よくわからない。
皆さんのされていることを観察しながら、
まずは真似をしてみる。
実際に、音読の先生をされている方もおられるし、
音読の学ばれている方たちだから、
音も明瞭だし、話すことばも、すっきりしている。
初回の会読が終わった後、
モヤモヤするものが自分の中に広がっていった。
その後、仕事や帰省で、日常が手一杯となり、
論語を読むことも、会読に参加することも、
出来なくなっていた。
いや、モヤモヤが真ん中にあったことが、
その場に向かうことの出来なかった理由だろう。
この自分の状況を変えていきたくて、
まずはブログをはじめた。
娘が少々、ぐずろうとも、無理やり書きはじめた。
今は、何とかかんとかのタイミング、というところがあるけれど、
きっと、よきタイミングで、さっとと書くことができるようになる。
はじめなくては、はじまらない。
そして、朝6時からの自主会読にも、えいや、と参加してみた。
やってみなくては、続けてみなくては、
何もわからないままだ、と、自分を鼓舞してみた。
会読の場は、あたたかく、面白い場だった。
相変わらず、ファシリテートは難しいけれど、
みなさんが、そっとたすけて下さる。
頭で考えて、いっぱいいっぱいになっていた自分がいた。
小さな境界線を超えていく。
そこには、ささやかで静かなよろこびがある。
トゥクトゥク ― 2024年12月10日 10:29
トゥクトゥクがやってきた。
夫は、これはいる、とおもったら、何が何でもひっぱってくる。
確信的直観によって、動く。
理由はよくわからない。
本人も、自分の沸き立つおもいを止められず、
凝縮したおもいのエネルギーは、
物質化してあらわれる。
かつての自分は、受け入れ難いこともしばしばで、
しかしながら、夫の確固たるおもいは何を言っても動かず、
いつしか、わたしは、自分のこころをみるようになった。
そして、夫のおもいは、宇宙の意図にのっていれば、
そのようになるものだろうと、
あきらめ、というか、おまかせ、することにした。
そして、自分の仕事に集中しようと、決めた。
宇宙人のような夫のおかげで、
わたしは、自分を生きるしかないのだと、
思えるようになったのである。
夫は、これはいる、とおもったら、何が何でもひっぱってくる。
確信的直観によって、動く。
理由はよくわからない。
本人も、自分の沸き立つおもいを止められず、
凝縮したおもいのエネルギーは、
物質化してあらわれる。
かつての自分は、受け入れ難いこともしばしばで、
しかしながら、夫の確固たるおもいは何を言っても動かず、
いつしか、わたしは、自分のこころをみるようになった。
そして、夫のおもいは、宇宙の意図にのっていれば、
そのようになるものだろうと、
あきらめ、というか、おまかせ、することにした。
そして、自分の仕事に集中しようと、決めた。
宇宙人のような夫のおかげで、
わたしは、自分を生きるしかないのだと、
思えるようになったのである。
12月12日(木) ― 2024年12月12日 16:25
家の近くの、銀杏の大木が、鮮やかな黄色に変わり、
その葉を、順に落とし始めた。
地面に広がった銀杏の黄色は、光を放ち、
その神々しさに、はっとした。
自分の中に、思考が詰まって、
小さなノイズを起こしている、
という自覚がある。
不安というものにより、
過去や未来をうろうろする自分を、
つくりだしている。
今朝、屋根裏に続く階段から、滑り落ちた。
頭と腰を強打して、意識を失った。
夫が野口整体でいうところの、ユキを、
してくれたおかげで、
衝撃による頭まわりの緊張がほぐれて、
残るは、打撲の痛みと、たんこぶくらいである。
頭で考えすぎである自分があって、
そこから起こった出来事ではないかと思う。
いずれ、この出来事も、そうか、と腑に落ちる日が来るのであろう。
夕方、銀杏の大木と、広がる空をみていたら、
物語にはまりこんでいる自分のちっぽけさを知る。
考えることをとめることは難しいのかもしれないけれど、
そういう自分を自覚したときは、
まずは、外に出て、海と空と山をみることにしよう。
その葉を、順に落とし始めた。
地面に広がった銀杏の黄色は、光を放ち、
その神々しさに、はっとした。
自分の中に、思考が詰まって、
小さなノイズを起こしている、
という自覚がある。
不安というものにより、
過去や未来をうろうろする自分を、
つくりだしている。
今朝、屋根裏に続く階段から、滑り落ちた。
頭と腰を強打して、意識を失った。
夫が野口整体でいうところの、ユキを、
してくれたおかげで、
衝撃による頭まわりの緊張がほぐれて、
残るは、打撲の痛みと、たんこぶくらいである。
頭で考えすぎである自分があって、
そこから起こった出来事ではないかと思う。
いずれ、この出来事も、そうか、と腑に落ちる日が来るのであろう。
夕方、銀杏の大木と、広がる空をみていたら、
物語にはまりこんでいる自分のちっぽけさを知る。
考えることをとめることは難しいのかもしれないけれど、
そういう自分を自覚したときは、
まずは、外に出て、海と空と山をみることにしよう。
12月13日(金) ― 2024年12月13日 18:02
明日のために薪を準備する。
明日のために、お米を精米しておく。
このささやかな仕事が、明日の朝の、わたしを援ける。
寒い朝、さっと、薪ストーブに火を入れることが出来るのは、
昨日のわたしの仕事のおかげである。
お米を炊くのに、洗いから、はじめることが出来るのも、
昨日のわたしの仕事のおかげである。
昨日のわたしが、今日のわたしを援けて、
今日のわたしが、昨日のわたしを援ける。
明日のために、お米を精米しておく。
このささやかな仕事が、明日の朝の、わたしを援ける。
寒い朝、さっと、薪ストーブに火を入れることが出来るのは、
昨日のわたしの仕事のおかげである。
お米を炊くのに、洗いから、はじめることが出来るのも、
昨日のわたしの仕事のおかげである。
昨日のわたしが、今日のわたしを援けて、
今日のわたしが、昨日のわたしを援ける。
12月14日(土) ― 2024年12月14日 17:56
氣がついたら、7歳の息子がおむすびをむすんでいた。
さっきまで、わたしがむすんでいた道具一式、そのままに置いていたら、
ひとり、黙々と、マイペースに、むすんでいる。
そして、自分でむすんだのを、おいしそうに食べた。
息子のむすんだおむすびを食べた。
軽やかで、やさしい、おむすびだった。
力みも、作為もない、ただただむすばれたお米があった。
おむすびは、わたしの中で、さっとほどけて消えた。
息子は自分が納得するまで、何度かおむすびをむすんだ。
息子のまわりは、静かなよろこびが満ち満ちていた。
遊びの世界にいるって、こういうことなんかな、と思った。
日常の些細なひとときに起こる、奇跡のような瞬間。
今日、それを見逃さず、感じることが出来てよかった。
さっきまで、わたしがむすんでいた道具一式、そのままに置いていたら、
ひとり、黙々と、マイペースに、むすんでいる。
そして、自分でむすんだのを、おいしそうに食べた。
息子のむすんだおむすびを食べた。
軽やかで、やさしい、おむすびだった。
力みも、作為もない、ただただむすばれたお米があった。
おむすびは、わたしの中で、さっとほどけて消えた。
息子は自分が納得するまで、何度かおむすびをむすんだ。
息子のまわりは、静かなよろこびが満ち満ちていた。
遊びの世界にいるって、こういうことなんかな、と思った。
日常の些細なひとときに起こる、奇跡のような瞬間。
今日、それを見逃さず、感じることが出来てよかった。
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